生駒の古道「古堤街道とその現状<後篇>俵口周辺の石仏散策」
2016/02/01
前回に続いて古堤街道(南ルート)の現状と周辺の見どころをご紹介します。今回の出発点は、薬師堂川を渡って住宅街の中にある生駒市最大とされる石造りの道標となります。道標に従って「左」に進むのが古堤街道(南ルート)で、清滝街道~暗越街道(砂茶屋)をへて奈良・郡山、そして伊勢街道へと通じています。
ストビューでも立派な道標だと分かりますね。
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街道を離れて俵口周辺を徘徊す。
「生駒の古道(生駒民俗会)」(以下、本書という)においても、俵口周辺の見どころが紹介されていますので、当ブログでも同様に周辺の散策をしたいと思います。本書では取り上げられていないモノを中心に見てきました。
谷田西墓地
十三仏種子板碑、額部の二条線が古い形式であること示す。各種子は浅い薬研彫りが特徴
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真夏の太陽は影を潜めても、まだまだ暑い日が続きます。近鉄奈良線・生駒トンネル直上にある墓地で、小高い丘の上にありました。生駒谷の古くからある墓地は、丘の上に立地しているケースが散見されます。墓参りが益々困難になって荒廃する一方、巨大な霊園が規模を拡大して山を削っていきます。谷田西墓地は、そんな典型例のような気がしました。
北新町の新興住宅街を縫うように北上します。西松ヶ丘に近づいてくると旧道らしい雰囲気を感じる一方で、空き家が目立つようになりました。
西松ヶ丘磨崖仏
ちょっと見つけにくい場所にありました。
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文献資料によると「生駒中学校西北隅、小川の南岸」と記してあります。小川とはモチ川のことで、コンクリートで固められた溝と化していました。磨崖仏周辺のみ樹木が残されていますが、かつては「モチ川の杜」と呼ばれた「生駒の七森」の一つに数えられる場所です。
帝釈山長命寺
江戸期の宝篋印塔と方形角柱笠塔婆が並ぶ。
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モチ川を挟んだ北側にあるお寺、裏口の引き戸を開けて中に入れます。文献資料にある灯篭、宝篋印塔、方形角柱笠塔婆の現存を確認しましたが、鎌倉様式を備えているという層塔を発見できず。とても残念です。残欠化しているのでしょうか?
俵口の中心地からスコデンへ
俵口の中心地と本書に紹介のある阪奈道路俵口インターと県道142号線の交差点が見えてきました。ガード下をくぐりすぐ北西に見える阿弥陀寺(融通念仏宗)に立ち寄ります。ここにも興味深い石仏が祀られているのですが、本書では取り上げられていませんね。
山門前の立派な石段を上ります。(阿弥陀寺)
境内には興味深い石造遺物がたくさん祀られています。
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阿弥陀寺からさらに北へと進みましょう。青い田んぼが広がっていて、順調に稲穂が実っていました。
この辺りが旧字名のスコデン南東部ですね。スコデンとは「透ける田んぼ」が訛ったもので、水もちの悪い(保水性の低い)田圃という意味らしいです。
俵口の人々がいかに「水」を大切にしてきたかが、土地名からも窺い知ることできますね。生駒山の中腹には俵口の方が大切にする「生駒川源水」に石碑が建立されています。
長福寺は改装工事中
古堤街道から俵口へ寄り道する理由は、何といっても長福寺でしょう。本堂は重要文化財に指定されており、堂内の壁画に表わされた千体仏は格式が高く必見とのこと。残念ながら訪問時は足場が組んだ状態の工事中でした。
長福寺必見の七重層塔(推定、鎌倉期造立)
境内は見学可能です。
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機会があれば再訪したいと思っています。今回、結局「神定松」の所在地は不明でした。生駒石の原産地は確認できているので、金毘羅神社を含めてリベンジですかね。
俵口から谷田~山崎~菜畑と歩く
古堤街道(南ルート)に戻って、清滝街道にバトンタッチしましょう。
東に住宅街の広がる舗装された旧道は、くねくねと曲折しながら南東方向に進んでいきます。
本書に紹介される稲蔵神社参道碑(?)
土中に埋まった道標
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ここはコンクリートに半分埋まっていますが、近鉄奈良線のガード下にある道標は立派で大正九年と寄進者の銘がはっきりと読める立派なモノでした。
バチが当たるで!!(不法投棄対策であることは理解できます)
道標に看板(左)、撤去した(右)
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別の機会にいずれ紹介しますが、稲蔵神社の烏帽子岩は「兵役逃れ」のご利益があるとかで、大阪方面の参拝者が多かったとか。「戦争がイヤ」と国会前で阿保を晒すぐらいなら、稲蔵さんに参拝した方がええんとちゃいますか。
谷田にて
脱線しました。次にいきましょう。
谷田地蔵堂、本書で紹介された十三仏種子板碑と名号碑
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石段を登って観音寺へ、ここでは天保三年銘の如意輪観音磨崖仏が珍しい。
石神山・観音寺
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あまり広くない境内ですが、丘の上にお寺が立っていて、疲れた足には相当こたえます。
山崎にて
近鉄のガード下をくぐって山崎町に進みます。塩乾物の荷継場はどのあたりでしょうか。それらしき痕跡や表示は何もないようです。
安養寺への登り口
西国三十三所巡礼供養碑、観音石仏、地蔵石仏、石灯篭残欠が並ぶ。
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さらに南下して進みます。この道はかつて県道として使われていました。東側のピーク上に金法寺があり、南側の石段を登ると本堂の前からの眺めが素晴らしい。
江戸期の石造遺物が横一列に並べてありますが、あたりはひっそりとしていて静かです。文献資料には「その昔随分さかえていたと聞く」と紹介されています。
菜畑にて
傍示の辻付近マップ1892-1910(今昔マップ on the web)
クリックで拡大
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金法寺を過ぎると現在の県道に合流し堂川橋を渡ると清滝街道が南北に通じています。「東生駒南」の交差点付近が大阪と郡山を結ぶ中継点で、生魚問屋が並んでいた場所ですね。今はマンションが立ち並んでいます。
菜畑の「傍示の辻」は交通の要衝です。西へ宝山寺、東へ奈良、郡山、伊勢街道、そして南北に清滝街道が交差します。
古堤街道の終点は、椚峠を越えて暗越街道と交わる砂茶屋とされています。実は起点となった峠地蔵からここまでずっと舗装路。足が限界です。山道歩きなら平気なんですけど、アスファルト道はキツイです。この先にある東菜畑地蔵堂の紹介は、宝山寺参詣道のメインルート(正面参道)を歩いた時にいたしましょう。
では、また。
参考文献
生駒市 石造文化財「生駒谷」(昭和五十二年)
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