菅笠日記のみちを歩く
2015/07/01
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江戸時代のヤマレコ「菅笠日記」を読んでみる
本居宣長のヤマレコ、いや、菅笠日記に興味を持ちました。
と言うより、気がついたらどっぷりと浸かってました。
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詳しいサイトがありますので、浅学な自分でも、
一通りの知識は入手できます。便利な世の中ですね。
早速、菅笠日記の原文を入手してiPadで読んでみます。
短文だし旅行記なら、簡単に読めるだろうと。
ことし明和の九年といふとし。いかなるよき年にかあるらむ。よき人のよく見て。よしといひおきける。吉野の花見にと思ひたつ。
冒頭は問題なし。
「おっ、コレなら読めるゾ」
そもそもこの山分衣のあらましは。廿年ばかりにも成りぬるを。
ムリです。万葉集の引用もあるし、早々に断念しました。
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菅笠日記の現代語訳を読む
大変ありがたいです。
現代語訳がネットで公開されていました。
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クリエイティブ・コモンズの扱いなので、自由にコピペできます。
しかも、本居宣長の足跡をマップで紹介されていて読みやすい。
これまで歩いたのは次のルートです。
- 三月七日(第3日)
萩原、吉隠(よなばり)、初瀬、多武峰、滝畑、千股(泊) - 三月八日(第4日)
千股、上市、吉野入、吉野水分神社、箱屋某(泊) - 三月九日(第5日)
吉野滞在、筏流し、滝、岩飛び見学、箱屋某(泊) - 三月十日(第6日)
吉野で如意輪寺参詣、壺阪寺、橘寺、飛鳥の岡(泊)
もちろん、全区間を歩いてません。部分的です。
現代語訳からの引用と写真で振り返ります。
菅笠日記 三月七日(第3日)
本居宣長が松坂を出発したのが明和九年三月五日(西暦1772年)
グレゴリオ暦に換算すると、4月の中旬頃だったようです。
今年、明和《みょうわ》九年(1772)ですが、何とかよい年であって欲しいと、古歌(御製)にいうよき人のよく見て、よしといいたいと吉野の花見を思いたちました。
桜見物にしては、ちょっと遅い出発だったようです。
三日目の三月七日には萩原(榛原)を出発して、西峠を越えて吉隠へと進みます。
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原文では以下の通り。(断りのない限り現代語訳を引用します)
西たうげ角柄などいふ山里共を過て。吉隠にいたる。
吉隠から与喜浦を経て、化粧坂を下ったことが記述されていました。
けはい坂(化粧坂)という険しい坂を少し下りました。この坂道から初瀬の寺も里も目前にはっきり見わたされ、その景色は何ともいえません。
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本居宣長が歩いた化粧坂を下って、与喜天満神社に行ってみました。
宣長一行は、長谷寺界隈を見学した後、多武峰から吉野を目指します。
途中の観光地を詳しく紹介していて興味深いです。
多武の峰から一里半というところに瀧の畑という山里があり、まさに瀧川のほとりです。また山を一つこえた谷陰で、岡から上市へ越える道とゆき合いました。
滝畑から峠を越えて千股へ出た場面は、たったの二行で素っ気ない。
どうも、宣長さんは、瀧見がしたかったみたいです。
滝畑・千股間の峠越えは今は人が歩かない忘れられたルートです。
峠の名称も定かではないとのことでした。
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特選コースガイドの著者(柴田昭彦氏)がここを訪問した際は、
「青垣峠」の道標のみで、北側(滝畑側)は荒れたヤブ道でした。
近年、整備されて歩きやすくなっています。
三月八日(第4日)
立よらでよそにききつつ過る哉心にかけし瀧の白糸
「うなぎが昇ってやがて雨がふるという」滝見学に未練が相当残ったようです。
多武の峰は一点の雲もなく晴れて、今日もよい天気です。
吉野に近づいて誰も楽しい故でしょう。
同行の人たちは、もちろん吉野詣りが気がかり。
上市にはあっという間に着いたようです。
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ここまでの関連したヤマレコです。
参考にどうぞ。
長者伝説の古道②(榛原安田~初瀬)と與喜山・初瀬ダム – ヤマレコ
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多武峰街道(千股~矢立峠~滝畑)と在所道で繋ぐ芋峠古道 – ヤマレコ
三月九日(第5日)
この日における宣長一行のルートは興味深いです。
吉野を起点に日帰りのオプショナル・ツアーに出かけました。
青根ヶ峰から西河のルートは梅の井を経由しているはずで、
帰路もこのルートを登り返していると思います。
西河から大滝へ向かい、そこで筏流しを見学した様子は、イキイキと表現されていて、読んでいると引き込まれます。
その後、一行は大滝から清明が滝へ。
この清明が滝とは蜻蛉の滝のことでしょう。
そもそもこの瀧を清明が瀧ともいうのは、蜻蛉《かげろふ、トンボのこと》の小野による名で、虫の蜻螟《かげろう》だと云う人もいますがそうではないでしょうね。
滝見学に未練タラタラだった宣長さんに配慮してのことでしょうか。
この間のルートを想像してみました。
青根ヶ峰から尾根を辿って、道しるべ地蔵のある分岐を経て西河。
そこから時計回りで大滝・蜻蛉の滝・再び西河へ戻ったと推測できます。
西河から道しるべ地蔵間を往復したのではないか。
下ってきた山路にかかりましたが、今朝はたいしたことはなかったのに登るのは苦しくて同じ道とは思えません。登りきって、右側の道から分かれてさらに登る山を佛が峯といい、険しい坂です。
このように表現していることから、そのことが想像できます。
確かに、急坂でジグザグに登る区間がありました。
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そこから下る道はなだらかですが、もう脚が疲れているだけに難儀で、茶屋でしばらく休みました。
樫尾峠の茶屋を指していると思われます。
特選コースガイドによると民家や茶屋が存在したとのこと。
樫尾峠の茶屋で休憩した一行は、樋口を経て宮滝へ向かいます。
道路は拡幅され、トンネルに大橋。往時とは様変わりですね。
岩から岩へ渡してある橋は三丈ほどでしょうか。宮滝の柴橋と呼び、柴で編んで渡ると揺れるので、慣れないと危なっかしいものです。
岩飛を見学して楽しんだようです。今でもあるんでしょうか。
飛び込み禁止の看板は目につきましたが。。。
像と書いて「きさ」と読むんですね。
現代語訳を読んで初めて知りました。
一行はここから桜木神社を経て吉野へ戻りました。
日暮れに宿に帰り着いて、和歌を詠んでいます。
ながれての世には絶けるみよしのの滝のみやこにのこる瀧津瀬
もう一首
いにしへの跡はふりにし宮たきに里の名しのぶ袖ぞぬれける
意味は諏訪邦夫氏の現代語訳をお読みください。
この日の行程は20kmを超えているでしょう。
翌日のことを考えると、かなりキツイ。
この日に関連したヤマレコです。
参考にどうぞ。
三月十日(第6日)
本居宣長一行の旅は後半にかかります。
菅笠日記では、「下の巻」に描かれています。
吉野を発ち、如意輪寺に参詣した一行は、六田を経て土田へ。
そこでくずきりを食べます。この場面がまた面白い。
ここでそばきりという物を食べましたが、家も器もみじめできたない印象ながら、万葉にいう椎の葉よりは上等となぐさめて食しました。
菅笠日記は、当時のヤマレコだけでなく、食べログの役目も果たしていたのですね。
帰り道で壺坂の観音にお参りしました。当時は壺阪でなく壺坂と表記したようです。
ここから壺坂の観音にお参りです。平らな道を少し進んで右に分れ、山にそう道に入り、畑屋の里を過ぎ、登ってゆく山路から振り返ると吉野の里と山々がよく見える所がありました。
ここで登場するに畑屋は高野道と吉野道が出会う交通の要衝で、壺阪越のメインルートでした。明治時代に新道が開設されると衰退し、鉄道の開通で廃道となってしまいました。
畑屋越のヤマレコ
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畑屋辻にある山中の田畑で分断されている状態です。
稲刈りなど収穫のシーズンは通行が困難でしょう。
残念なのは、吉野を振り返る展望ポイントが存在しないことです。
宣長の時代は今ほど木々が茂ってなかったのでしょう。
吉野を振り返り次のような和歌を詠んでいます。
かへりみるよそめも今をかぎりにて又もわかるるみよしのの里
本居宣長も見たであろう国中(くになか)の景色は見ることができました。
現代のハイキングなら壺阪寺の駅前をブラブラして終了でしょう。
宣長一行は、檜隈で古代寺院跡を見学し、さらに岡寺まで。
つぎに橘寺にお参りしました。川原寺の向かいにあって、一町ほどです。この寺は今も少し広くて立派なお堂もあり、やはり昔の石礎が残っています。橘という里も、この寺のすぐ近くです。日暮れになったので、岡の里に泊まります。
ようやく草鞋を脱ぎました。恐らくこの日も20kmを超えているでしょう。
しかも、峠を一つ越えています。タフですねぇ、昔の人は。
矢立峠、小仏峠、畑屋越のルートは本居宣長で繋がっていました。
次は、いよいよ九重越です。どんな出合いが待っているでしょうか。
では、また。
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