生駒の古道「信貴山参詣道のまとめ」
南北に長い生駒山系にあって、北の宝山寺と南の信貴山・朝護孫子寺は古くから多くの参詣者を集めた聖地として知られています。
東高野街道に立つ道標
交通網の発達してなかった明治・大正期までは、徒歩での参詣はアタリマエのこと。当然、たくさんの参詣道が整備されていました。
今回は上記の続編記事となります。
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恩智周辺のハイキングコース
昨年、恩智周辺のハイキングコースを紹介した際に、今ではあまり使われていないルートをいくつか紹介しています。その中には信貴山参詣道が含まれていました。
十三丁と刻まれた道標(堺道)
初夏から秋にかけては敬遠しがちな山域ですので、冬の到来を待って未踏のルートを歩いてみました。
神宮寺道(ルートE2)
昨年(2015)12月6日に下りで、年末には来迎寺墓地から馬乗池のルートを経て関電道路まで歩きました。ヤマレコはココとココ。
来迎寺墓地内
自然林が豊か
風情のある古道の面影
歩く人が少ないために落ち葉が大量に降り積もってフカフカ状態でしたが、ヤブ漕ぎや危険個所もなく静かな山歩きが楽しめる良いルートです。
恩智中町へのルートとの分岐点(観音分岐)
木製のプレートは消失していました。
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時折、マウンテンバイクが駆け下りて来ることがありますが、観音分岐でより駅に近い恩智中町の方へ下ってしまいます。不便さがこの旧道から人を遠ざける原因になっているようですね。
堺道(ルートF)
今年(2016)1月、ついに歩きました。このルートは登り口がどこにあるかが不明だったので、下ってみるしかなかったのです。ヤマレコはコレ。
登り口はココ(下ってきて確認)
結論から言うとこのルートは全くおススメできません。神宮寺道とは対照的に全区間の80%が藪に沈んでおり、その内30%はSクラスのヤブ漕ぎを強いられました。
分岐(地点7)の道標からは「地点8」が消えた。
意外にも踏み跡と路盤はしっかりしているため、方向を間違わずにヤブを泳いでいけば、視界の開ける場所もあり、古道の面影がしっかり残っています。
草をかき分けて進む
ヤブを抜けると一瞬古道の面影が、、、
神宮寺道とも雰囲気は似ている
このルートのハイライトは何といっても、「左海(堺)初寅講」と大きく陰刻された二基の石碑でしょう。(丁石を兼ねているかもしれません)
この石碑が立つ登り側はスズタケが道の両側に立ちはだかり、突入するまで道があるとは分からないでしょう。
旧道は現在の地理院地図に描かれている破線道から南西の尾根道を下っていたと思われますが、道跡はおろか破線道の尾根道も確認できませんでした。
破線道は途中で消える
尾根上はササ藪が倒れ込んで通行困難
消防組合の巡視路もこの地点から北の谷へ下っており、最後は堰堤を越えて堅下北中学校の北東にある溜池の階段に通じていました。(GPSログの軌跡参照)
堰堤の手前で古墳らしきものを発見したが。。。
今冬中にもう一度下からチャレンジできるでしょうか。かなり覚悟が必要です。
今後の課題として
今昔マップなど古地図で確認できる信貴山参詣道は全て歩くことができました。今後は「高安城を探る会」の資料集で得られた小ネタを中心に追加情報を発信したいと思っています。
天川神社旧社地
高安城を探る会「資料集」より
恩智惣池から沢沿いに登っていくルートは、同資料によれば「天川道」と呼ばれ大正元年頃できた道で、天川神社南尾根を登る険しい道とされています。恩智神社の奥宮とされる天川山に「天川神社」の石碑(昭和54年)があるとのこと。コイツを確認に行きます。
「恩智新道」ハイキングコースの通行止めは解除された。
天川道は堰堤工事(昭和41年)でルートが付け替えられています。旧道の痕跡が残ってるかもしれませんね。
小字名「上ノ山」付近
やはり「堺道」を下から再チャレンジするしかありませんかね。地点番号の標識からも削除されているので、今後、道が整備されることはないでしょう。そうすると、悪化する一方です。踏み跡が確認できる今のうちに歩くしかありません。
高安城を探る会「資料集」より
小字「上ノ山」の北側斜面に信貴敷津線3号の鉄塔が立ち、山頂には保護石で囲まれた標石があるとのこと。鉄塔側からのアプローチは失敗しました。今度は旧道側から尾根を辿ってアプローチしたいと思います。
最後に一言お礼申し上げます
今回、この地域を歩くにあたりTwitterで様々な情報提供を頂いたminami(@mieao62)さんに感謝申し上げます。初寅講の石碑発見はminamiさんのご助言なしには、到底成し遂げることはできなかったと思います。ありがとうございました。
@juantonto お疲れ様でした、それほど悪かったですか、スズタケ、笹は復元力が強いんでしょうね、ヤマレコ楽しみにしてます。
— minami (@mieao62) January 25, 2016
では、また。
そろそろ必要かな。
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