消えた石標を探せ!<続編>「庄兵衛道」
2024/01/24
3月25日にエントリーしたブログの続編です。
前回記事
消えた石標を探せ!「宝山寺参りと庄兵衛道」 | ふぁんトントのブログ
下に続く。。。
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先日、宝山寺参詣道の一つ「菜畑参道」を歩いたついでに、
消えた(庄兵衛道の)石標を探しに行ってきました。
庄兵衛道の石標オリジナルマップを再掲します。
石標6を除いて、2013-2014年に実際に歩いて確認しています。
探している石標6は、平成8年の資料では確認されています。
その資料とは、
特選コースガイド3
宝山寺と千光寺を結ぶ行者道
庄兵衛道(しょうべいみち)
初級コース 柴田昭彦著
のことでして、新ハイ関西の山記載の記事です。
同誌はすでに廃刊となりました。
庄兵衛道に関する記事や資料は他にもありますが、
今回もこの資料を元に歩いてみました。
囲み部分の文言は同記事の引用となります。
2014/04/27 生駒山系・「菜畑参道・往馬神社~宝山寺~旧鶴林寺跡・庄兵衛道」
写真57からが今回の話の始まりです。
参考にどうぞ。では、スタート。
左へ曲がり、滑り止めのある急坂をくだる。
今は人気スポットのラッキー・ガーデンさんの四ツ辻です。
確かにすべり止めありますね。この坂、登りはキツイです。
この場所に昭和50年頃転倒している石標が発見されていました。
現在では影も形もない』(平成8年)
カケラも見当たりませんでした。
辻で右をとってくだる。暗越奈良街道に出合い、
昨年、この区間は直線路が付け替えられています。
歩行者の通行は可能ですが、竹林側にフェンスが設置されました。
左へ少しくだると左手に藤尾阿弥陀堂がある。
石仏は文永七年(1270)の銘で鎌倉中期の名作である。
見た目にも古いですね。かつてはこの前を自動車が往来していました。
今は、ひっそりと静かになって喜んでおられるでしょう。
記事によると、フェンス向こうの竹林に旅館藤屋があり、
庄兵衛道はここから通じていたとのことです。
それらしき入り口はフェンス沿いにありました。
南京錠がかかっていて侵入できません。それらしき道も見えます。
記事でもこの入口には言及されておらず、ここから迂回路へ向かいます。
クリックで拡大
ここからの周辺マップを用意しました。
A地点が鍵のかかったフェンスの入り口です。
紫色の線でフェンスが設置されています。
迂回路は黄色のルートで竹林を進んで、水路の橋にでます。
位置的には阿弥陀堂の真南になります。
赤のルートで橋を渡って、左右を探索した後、
柿色の線で堰堤へ出ました。
緑色の波線エリアが田んぼ跡の倒竹で通行困難です。
青線は庄兵衛道です。
では、写真で追います。
ここが水路の橋の手前です。
旧道の入り口へは橋を渡らずに右へ川沿いに進む。
で、竹林に突入しました。
次の橋を渡って左側を歩き、、、
橋を発見。渡りましたが、、、
正面は石垣っぽいですが、竹やぶに覆われています。
左右を見渡すとなんとか迂回できそうなので、
とりあえず、右手に突入しまたが、5メートル程で撤退。
左手も果敢にアタックしましたが敢え無く敗退です。
笹がびっしりで進めません。鉈or鎌が必要ですね。
装備一式用意して再挑戦するなら、右手でしょうね。
仕方なく最初の橋(B地点)まで戻って、
水路の南側に広がる田んぼ跡地の竹林から進むことにしました。
ここからも、先ほどの地点と繋げようと試みましたが、
水路に近いほど倒竹が酷くて近づけませんでした。
航空写真で見ると1980年代前半まで耕作されていたようです。
その後、放棄されたとしても30年近く放置されています。
地図のC地点です。
昨年歩いた時に見つけたポイントに出ました。
ここまで来るのに、相当倒竹と格闘しています。
倒竹を跨いだり潜ったりしながら進みます。
この区間は全然マシな場所です。
水門か何かでしょう。点検の際はどのルートを使うのでしょうか?
ここからは、若干歩きやすくなりますが、倒木や崩落などの障害あり。
(地図の上向き矢印の地点)
ようやく堰堤に到着しました。
平成8年ごろはまだ放棄されて間もない頃だったので、
この区間はそんなに荒れてなかったのでしょう。
今や迂回路が廃道化しつつあります。
次の橋を渡って左側を歩き、堰堤が見えたら左の坂を上がる
たった一行のあっさりした表現ですが、この区間で相当苦労します。
谷道となり旧道をたどる
踏み跡は薄いですが、谷筋を忠実に追います。
途中から左手の斜面をつづら折れで登り詰めます。
『上りきると道標④が現れる。』
ちょっと見にくいですが写真中央の木の根元に石標4があります。
ここは分岐で右手に行くと風舞さんへ、左手が庄兵衛道です。
直進して道を水平にたどると7分ほどで、道標⑤が右に立つ地点
石標5が道に倒れています。昨年見た時とからずっとこの状態です。
ここも分岐で、左手後方から広い道が合流してきます。
下って行くと藤尾水源池に出て、地点Bに通じています。
石標4を行って来いで見に行くなら、現実的な迂回路でしょうね。
右へ曲がり、少し上ると右手にペットボトルを固定した目印
多分この位置だと思いますが、当然そんな目印はありません。
さらに、
旧道はやぶに消えているので右側の道を進む。
とありますが、よく見ないとこの分岐は通り過ぎると思います。
現在では、左の旧道はほぼ消滅しています。
道の左側が崩れたところを過ぎると、、、
ここは、ハッキリわかります。何度か補修された跡もあります。
、、、左側の木にテープの印があり、
ハイ。赤テープのマーキングがあります。太いヤツです。
道は真っ直ぐ続いていますが、ここで谷へ下ります。
小川をまたぎ少し行くと左右に道が分かれる。
小川手前の木にもマーキングがあります。
左右の道というのがよく分かりません。
あたりは湿地帯で奥手は、これまた田んぼ跡です。
左へ入ると道標⑥がある。
本題の石標ありません。キョロキョロ見回しました。
草に埋もれているのでしょうか?
倒れていると可能性はあります。
あっさり諦めました。
尾根道の手前で倒木です。一瞬塞いでいるのかと思いましたが、
どうやら自然の倒木のようです。
向井山のある尾根筋に到達しました。
南へ下れば鳴川元山上・千光寺。東へ進めば鳥見霊畤趾磐座。
西へ行くと信貴スカイラインを越えて大原山に着きます。
躊躇なく西へ進みました。
ぼくらの広場で一息入れて、一気に瓢箪山まで下りました。
今回は正直、倒竹エリアで体力を消耗し過ぎました。
石標探しも根気が足らなかったと思います。
次は秋冬シーズンになると思いますが、石標1から未通過部分を含めて、
鳴川まで通してみたいと思います。
最後に庄兵衛道の略歴を引用して終わります。
正徳四年(1714)頃、藤尾村石仏寺の世話人の鬼取村年寄庄兵衛という人がいて、
湛海律師から、生駒山系中腹の参道の整備を任されたと伝えられ、
後にこの道を「庄兵衛道」と呼ぶようになったという。
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