三角点物語”STORY”「点の記から推測する水落(すいらく)の歴史」
2016/10/14
三角点とは三角測量を行う上で必要な「経度、緯度、標高」の基準となるデータを提供する基準点のことを言います。山中でよく見かけますが、必ずしも頂上部に設置されているとは限りません。
歴史の項目を読むとかつては警察がパトロールしていたらしい。
現在でも定期的にGPSで測量(GNSS測量)を行うことにより、位置情報の精度が維持されています。
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山歩きと三角点探し
山歩きを趣味にしていると、いつの間にか三角点探しがメインになることがよくありました。ふぁんトントもいつしか三角点探しに明け暮れるようになり、ついに生駒山系の三角点はすべて訪問しました。
みんなで地図を作ろうプロジェクト「生駒山系三角点地図」
誰でも投稿可能です。何度でも投稿できますよ。
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三角点探しの醍醐味は、宝探し的な要素があるところ。簡単に見つかるものもあれば、そうではないものもある。読図能力に体力、気力が試されます。
四等三角点・鹿畑
コイツはなかなか厄介な三角点でした。
Twitterで面白いネタを頂戴しました。
今昔マップによると奈良県 信貴畑には明治から1988年頃まで305.8mの三角点が埋設されていたようです、地図から消され1993年頃そこから東北東320mに248.7mの三角点が出現、305.8mの跡地に保護石位はまだ残っているでしょうか、まさか幻の三角点が残っていることはない?
— minami (@mieao62) 2015, 8月 7
8月の茹だるような暑さにバテバテだった頃、Twitterでminami(@mieao62)さんから興味深いツィートが流れてきました。
早速、今昔マップで確認してみると餅尾池の東側にあるピークに三角点のマークが記されていました。道を隔てた南側に信貴畑の共同墓地があるところです。
ご注意:大きな画面で見ると酔います。
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少し涼しくなってきたので、現地調査に赴きました。その際の様子を最新の「三角点STORY」でどうぞ。
三角点STORYとは?
先日、NHKBSプレミアムで映画「劒岳 点の記」が放送されました。2009年製作の映画で、原作は新田次郎の小説。今回初めて見ることができました。それと比べて、我が「三角点STORY」のクォリティの低いこと、、、当然と言えば当然なのですが。
Pilot版:「三角点STORY」(三等三角点・高神 標高:277.57m)
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今後も頑張ってリリースしていこうと思っています。三角点情報に加えて周辺の見どころなども伝えることができれば幸いです。
かつて廃点になった三角点たち
信貴畑(餅尾池東峰)の三角点は、廃点ではなく三等三角点・水落(すいらく)に移設されたものと思われます。
点の記情報によると水落の設置は平成11年3月3日ですが、旧設置は明治36年7月12日となっています。さらに履歴には移転とあります。しかし、どこから移転したものかは記されていません。推測の域をでませんが、まず間違いないでしょう。
三等三角点・水落(すいらく)標高:248.68m
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三角点が廃点や移設されることは珍しくなく、宅地開発が盛んだった頃に地形が(人工的に)大きく変化したことも原因のひとつでしょう。廃点の例をいくつか見ていきます。
近鉄生駒線・萩の台駅近く
今昔マップ on the web(1983-88)
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萩の台駅西口ロータリーをまっすぐ西に進むと小平尾橋が架かっています。この橋のたもと付近に標高104.9mの三角点が表記されています。橋の完成は昭和55年(1980)で、それまでは龍田川(生駒川)の東岸は田んぼの広がるエリアでした。
地図から三角点が消える
今昔マップ on the web(1993-98)
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その後の地図から三角点は消え現在に至っています。恐らく橋が完成とともに護岸工事が行われた際に、三角点が廃点になったのではないでしょうか。あるいは、田んぼが埋め立てられた時かもしれません。
小平尾橋(昭和55年完成)
この付近に三角点が存在した。(2015.09.22撮影)
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その他の廃点または視認できない三角点
下垣内は平群駅からバイパスに出て200mほど南へ歩いた場所にありました。三角点アプリにはデータや訪問記録が残っていますが、最新の地図からは消去されました。恐らく廃点でしょう。
この三角点は廃点にはなっていません。なぜなら現存するからです。現地に行くと高台の上に地蔵屋形があり、三角点のポールが残置されていました。点の記によれば、屋形の南東角より60cmの位置に埋まっているとのこと。遠景写真を確認すると約30cmほど土の下に柱石の頭が出ています。土の嵩上げが行われたのかもしれません。
草むらの周辺どこかに存在していた。開発工事で抜去されて放置されていたらしい。2013年12月に訪問した際は、工事は中断(中止?)していました。ヌスビトハギが大量に繁茂し確認は困難を極め、以降訪問していません。当時は遺棄された柱石や保護石の残骸が確認できたとのことでした。
飯盛山(四條畷市、大東市)にも三角点が存在した。
廃点事情に関しては、まだまだたくさんのエピソードがあります。皆さんがご存知のお話を是非、お聞かせていただきたいと思います。
今昔マップ on the web(1993-97)
河内飯盛山の山頂にあった四等三角点
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飯盛山の四等三角点も廃点になった一つです。人気のある里山なので、ご存知の方も多いはず。廃点となった経緯について、新ハイキング関西の山40号と43号に興味深い記述がありました。
新ハイキング関西の山(以下、新ハイという)は2011年に惜しまれながら廃刊となりました。バックナンバーは新ハイキング社あてに申し込めば入手できます。
新ハイ40号(1998.5.1発行)の随想に「二つの里山の三角点(橋本賢二郎氏)」が掲載されており、それによると、平成6年(1994)頃、飯盛山を登った著者が三角点らしき「石」を桜の木の側の焚火跡の中から見つけておられます。以下は橋本氏の言葉です。
(前略)真っ黒に焼け焦げ、丸く削られた表面は、タール状の液がこびりついていたので、それが三角点標石とはとても思えなかった。(引用p12)
橋本氏はさらに、平成9年(1997)に下見のため再び飯盛山を訪れています。その際に三角点らしき「石」の汚れを落とし12cm四方の大きさであることを確認しました。三角点の柱石に間違いなく、この時点でまだ廃点にはなっていませんでした。そればかりか、橋本氏の問い合わせに対し、国土地理院は「四等三角点・飯盛山」が存在すると回答しています。
40号から間もなく43号において、特選コースガイド「河内平野の展望台・飯盛山」が初級コースとして紹介されました。著者の柴田昭彦氏により飯盛山の古道が詳らかにされ、丁寧な手書きのルートマップが書き添えられています。当ブログにおいても紹介していますので、興味のある方はどうぞ。
特選コースガイドの最後に飯盛山の三角点について触れられており、それによると以下のような状態だったと言います。
昭和47年に再建された楠木正行像の北側の足下にあり、側面の泥を落とすと「国地院」「角点」の文字が読み取れた。(引用p73)
柴田氏がガイド執筆のために現地を訪問したのが平成10年7月28日(1998)のことでした。楠木正行像の再建と柱石抜去は関係ないと信じたいですね。ただし、抜去された柱石が流転しさまざまに使われていたのは痛ましい事実です。
飯盛山では、山全体を国史跡にしようという運動があるようです。実現すれば素晴らしいことではありますが、山のルールやマナーを知らないハイカーが増えるのも事実。三角点を大切にしましょう。
柱石に比べてポールは破損しやすい。
二等三角点・松尾山(標高:315.06m)にて。
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では、また。
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