『上津鳥見路』をブラブラ歩く
2015/04/03
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9月になっても天候が安定しませんね。
今週あたりは晴れの日が続くでしょうか。
先週末の天気予報は、金曜日の夕方から曇りで、
徐々に回復傾向でした。
ところが、土曜日は結構強めの雨。ジャジャぶりでした。
日曜日に予定していた山歩きを中止にするか悩みました。
朝起きると、どんよりとした曇り空。生駒に雲がかかってました。
雨雲レーダーを見ると生駒北部には、雲が出ていません。
今回は、車道歩きが多いので、最悪傘をさして歩くことも覚悟で、
少し時間をずらして出発です。
前置きが長くなりました。
サクっと行きましょう。
いつもの「生駒の古道」見てある記「上津鳥見路」のご紹介です。
「生駒の古道」によりますと、ルートの起点は、南田原・出店です。
本書で紹介されているルートは次の通り。
「南田原・出店~白庭台・鳥見浦池~上町・庄~奈良・二名」
ルビがないと、正確に読めません。
出店(でみせ)、鳥見浦(とうら)、二名(にみょう)です。
とりあえずヤマレコです。
2014.9.7 上津鳥見路(磐船街道)~桧窪山(ニギハヤヒの墓)・矢田丘陵北部遊歩道
ヤマレコでおわかりのように、近鉄富雄駅から逆ルートで辿りました。
当ブログでは、本書の記述にしたがって、出店からご紹介します。
出店(でみせ)集落の入り口付近です。
出店集落は磐船街道、古堤街道、清瀧街道などが交差する交通の要衝です。
「生駒の古道」によるとこの辺りが起点のようです。
出店集落の交通信号を東に渡った地点です。東から西を見ています。
通称シンドンドに到着しました。西隣は有名な(?)お蕎麦屋さんです。
旧家の建物を利用しているようです。
シンドンドは新塔堂(シントウドウ)が訛ったものです。
室町時代の子安地蔵屋根の下に安置されています。屋根が低いので注意してください。
お地蔵さんの隣にある六字名号板碑には天文11年(1542)の造立銘があります。
殺風景な境内ですが、お盆の数珠繰り行事は盛大だそうです。
緩やかな坂を登っていきます。
言われなければ谷筋とは思えません。
古道は西白庭台の住宅街で分断されますが、
車道を横断して続いていました。
たこ焼き屋さんの手前に地蔵堂がありました。
その奥に崖がこの一角だけ残っていました。
崖の右側に手すりが設置されていますが、かなりの急角度です。
途中の石が浮いていて、グラグラします。
登りは何とかクリアできても、下りがコワいです。
チキンな方は、下から指を咥えて眺めるだけにしましょう。
一人分のスペースしかなく狭いので、足元をしっかり確保して撮影しました。
自然の露出岩に彫り込んであります。笠はどうやって接着してるのでしょうか?
磨崖行者像から少し進むと小さな祠と立派なおかげ灯籠がありました。
ちなみに、ここはスト・ビューでも見ることができます。
かなりの年代モノですね。
風化が著しく進んでいます。
きれいな舟型です。
こちらも風化が激しく碑文が読み取れません。
古道の北側は水田が広がっていて青々としていました。
この付近は「古事記」「日本書紀」にゆかりの神話・伝説が豊富らしい。
その痕跡を探して廻りました。
鳥見浦池の北側にありました。
元は白庭台の住宅が開発される以前の丘陵地にあったそうです。
白谷垣内集会所の植え込みに建てられていました。
ニギハヤヒの住居跡とされる地だそうです。
鳥見浦池を過ぎて、ぶらぶら歩くと白庭台幼稚園の角にでます。
広い敷地に背の低い平屋建ての屋舎が特徴的でした。
やっぱり、幼稚園は民間経営ですね。オオヤケじゃダメ。
ここを右折すると広い市道へ出ます。
大規模開発で整備された白庭台ニュータウンです。
勝尾坂と呼ばれた頃の面影は皆無だそうです。
コラム欄に開発される前の写真が掲載されていますが、
人の住まない丘陵地だったようです。
近商ストアの後方あたりは、今も台地になっています。
このあたりが長髄彦の本拠地と伝わる場所でしょうか。
この交差点から北へ高山の芝橋に出て伊賀街道へ通じていました。
古道の雰囲気は全くありません。交差点から南へ900mゆっくり登っています。
今は、「けやき通り」と呼ばれているようです。
バス停の先を東に左折すると庄の集落入口です。
地元で「馬の出合い」と呼ばれる場所だそうですが、
左手の石垣の向こうは稲倉送水白庭台ポンプ場です。
途中に集会所がありました。
この周辺まで来ると古道の雰囲気が味わえます。
「すぐ 大坂」とハッキリ読めました。
「すぐ」とは、まっすぐの意味です。
集会所の前には、小さな祠もありました。
勉強不足なので、詳細は分かりません。
集会所から北に目を向けると、小高い丘にお寺の屋根が見えました。
脚注(1)に説明書きのある福満寺です。
立派なお寺です。入り口に由緒書などありました。
ここも見逃せないポイントのようです。
総門をくぐってすぐ右手にありました。
永仁六年(1298)銘の地蔵石仏で、二重蓮華座と舟型光背が特徴です。
南北に流れる富雄川です。。前方に朱塗りの真弓橋です。
橋の向こうに鳥居が見えます。
古道は富雄川の右岸に続いているそうです。
左岸に渡って道路を横断し長弓寺に立ち寄りました。
境内は公園になっているようです。
小石仏が集められていました。
真弓山長弓寺の本堂に到着。広いです。拝観料を取るレベルのお寺ですね。
豪族小野氏にまつわる伝承が残る古刹です。もちろん拝観無料ですよ。
本道の脇にも石仏がいくつも置かれていました。
こちらは名号碑と板碑状の供養塔ですかね。
詳しくは分かりません。
本堂の手前に上町の鎮守、伊弉諾(いざなぎ)神社がありました。
牛頭天王がご神体のようですね。
道中の無事を祈念しました。と言っても、感謝の意を述べるだけです。
「お願い」するのは、本意ではありません。
長弓寺からの古道は富雄川右岸ですが、左岸側の丘陵地に安養寺です。
ここは、立ち寄りませんでした。
西村橋の交差点を東に進むと筒井順昭ゆかりの圓證寺があります。
地形図にもデカデカと表記されてるので、さぞかし有名なのでしょう。
西村橋の南方にある神武天皇聖蹟 鵄邑顕彰碑と丘の上の神社を目指しました。
入り口に案内がありましたので、迷わずに突入です。
突入してすぐに、感じのよい山道です。
自然林の混じった竹林です。
鵄邑(とびむら)というのが正しい読みだそうですが、
地名になるとたいてい「とみ」と転訛しているようです。
神話の伝説地は各地に点在しており、同様な顕彰碑が建立されました。
当時の国家事業だったようですね。
山頂部分に(あめのおしほみ)神社がありました。
よみがなを付けていただけるとホントに助かります。
富雄川を南下すると月見橋から左岸の谷奥の集落に入ります。
その入口にある法融寺に立ち寄りました。
ここのお寺にも石仏が祀られていました。
立派な子安地蔵よりも、こちらの小さな仏さんが気になりました。
富雄川に架かる月見橋です。ここから東へ進み奈良の一条通りに至ります。
まっすぐに南下すると富雄三碓を経て、暗越街道に通じています。
富雄三碓(みつがらす)の古道は今年の6月に歩きました。
是非、そちらも御覧ください。
心配していた天気は、昼過ぎからは暑いぐらいに晴れました。
次回は「清水道」か「南山城道」を予定しています。
「生駒の古道」以外にも歩きたいコースがいくつかあるので、
年内に訪問できるかどうか。また天候次第です。
では、また。
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