写真で見る「菜畑参道・宝山寺参詣道」
2015/04/15
昨年歩いたヤマレコから、生駒の古道「菜畑参道」をご紹介します。
ヤマレコ
生駒山系・「宝山寺参詣道・菜畑参道と往馬神社~旧鶴林寺跡」 [山行記録] – ヤマレコ
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宝山寺参詣道は六本も存在した。
宝山寺といえば聖天信仰、商売繁盛を願う人々の参詣が絶えません。現在のように交通網が発達する以前は、周辺からの参詣道が六本も存在したといいます。
正面参道
菜畑参道
辻子谷越道
荒池・八丁門峠越
庄兵ヱ道(庄兵衛道)
暗峠参道(暗峠・宝山寺道)
当ブログがこれまでに紹介した宝山寺参詣道は、庄兵衛道と暗峠参道です。
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昨年刊行された『生駒の古道』(以後、本書という)では、菜畑参道の記述は僅かに数行で紹介されるのみです。
見どころのポイントが正面参道や京みちと重なる上に、肝心の敷石道の区間がほとんど消失してしまったからでしょう。
敷石道の痕跡は残っている
昨年歩いたところ菜畑参道の敷石の痕跡と言えるものが確認できました。歩いたのが本書の発刊前だったので、ブログ記事にしてきませんでした。
ヤマレコにアップした記録は埋没し自分でさえ顧みることはほとんどありません。これでは、菜畑参道の存在が記憶からも記録からも消え去ってしまいます。
菜畑参道は正面参道と合流することから、枝道ルートと思われがちですが、京みちや奥菜畑薬師堂のルートとも絡む通行量の多い参道だったと思われます。
敷石道の痕跡が確認できるのは、わずかに200メートル弱ですが、是非記憶と記録に留めたいと願っています。
写真で一年前を振り返る
ルートは近鉄生駒線・一分駅を出て、生駒(住馬)神社を経て出合川の南を北東に進みます。途中で京みちと合流し奥菜畑薬師堂の参詣道を見送ります。
「すく京ミち 左ほうざん寺」の文と安政五年の銘が確認できます。
舗装工事の結果、半分埋もれた石標(マンションの前)を通過します。
この小石仏が祀られている辻を左折で南下するのが奥菜畑薬師堂への道です。昔の旅人や参詣人は、宝山寺へお参りする道中で薬師堂へ寄り道したのでしょう。
ここを右折します。
石の集積地を過ぎて林道に合流し歩いていきます。軽トラが放棄されていたり、ちょっと寂しい林道でした。
問題はここです。かつては右手の木にマーキングがあったと言いますが、訪問時はその痕跡すらありませんでした。おまけにこの雑草のヤブ。フツーの人は、この草むらの向こうに道があるとは想像すらできません。
草むらを突破すると道が現れます。マーキングも一定間隔であるので、歩いている人が皆無ではなさそうです。
落ち葉に埋もれてわかりにくですが、敷石の痕跡だと思います。
これも。
これなんかも。
少しヤブッぽいですが、通行には全く問題ありません。緩やかな登りで、道幅も広く味わいのある古道でした。赤テープのマーキングが時々あります。
石段のようです。
階段状になった敷石のようです。
広範囲に石積みが散見されるので、何かの建物跡かもしれません。ヤスンバでもあったのでしょうか。井戸のようなものもありました。
旧参道はここから先で、配水池の建設により通行できなくなりました。
タイムスリップから現代に戻る
この階段から軽井沢町の高級住宅地を通り抜けます。
昭和55年の石碑です。中部配水池が完成したのは昭和59年です。この石碑以前は正面参道まで通行が可能だったのでしょうか。
ここから正面参道を歩きます。正面参道の敷石は今日まで大切に保存され、かつての雰囲気をよく伝えています。さすがに宝山寺のメイン・ルートですね。
真新しい感じのする五丁の石標を過ぎると女人堂跡の顕彰碑。
この先で菜畑参道が合流していました。
古い地図には2重線でルートが記してあります。
「すくならこふり山」の銘、「まっすぐ郡山」の意味です。
「右志ぎ山たつた道」の銘、信貴山龍田道の意味ですね。石標の銘文は本書より引用いたしました。シロートには解読不能です。
安政四巳年施主乙田 松川庄兵ヱと書かれています。ここも庄兵ヱさんです。庄兵ヱという名前は多くの人が使ってたみたいですね。
草むらの向こうに菜畑参道が通じていたのでしょう。今は、わずかにその痕跡が残るのみです。ここから六丁の石標を見ると、ほどなくして宝山寺に到着します。
今回は消えゆく菜畑参道を取り上げました。残る3本の宝山寺参詣道は、ハイキング道として多くの方に親しまれている道です。古道の面影を見つけることは難しいかもしれません。次回はハイキング道と古道の両面を持つ辻子谷越参道を予定しています。
では、また。
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