2024年6月16日(日)、生駒ふるさとミュージアムにて、生駒民俗会・第451回例会を行いました。
例会での発表者は、当ブログの管理人”Ikoma Nature Walk”こと、”Toyo”が行いました。「誰も来ぇーへんで(=「来ないよ」という意味の河内弁)」と、やや自嘲気味に心配しておりましたが、当日会員(500円)として来場なさった方々も含めて、合計27名の参加となりました。ここに厚く御礼申し上げます。
生駒ふるさとミュージアムでは、定期的に特別展(無料)などを開催しています。2022年5月に再販された「生駒の古道」(1,500円)の在庫は10冊残っています。受付の窓口で販売していますので、是非ともご来館の上、ご購入をお願いいたします。
下に続く。。。
庄兵ヱ道(しょうべえみち)の現状と10年の変遷を振り返る(前編)
筆者は、平成20年(2008)頃から生駒山系の山歩きを始めました。亡父に連れられて大峰山(山上ヶ岳・弥山縦走)を歩いて以来、年に数回程度の山歩きを心がけていたものの「生駒山」を山歩き、いや、ハイキングの対象とさえ見ていませんでした。「遊園地の山」と考えていたからですね。
平成20年(2008)頃、諸般の事情から、「水呑さん」にレクリエーション(運動不足解消)の場を求めることとなりました。自転車で麓の登り口までアクセス可能な上に、短時間で「行って帰り」できるのが魅力。水呑さんは、小・中学生の頃から慣れ親しんでいます。玄関を一歩外に出ると、生駒山系の八合目辺りに水呑地蔵院の屋根が薄っすらと見える日もありました。(現在は、高い建物が増えて見えません)十三峠を越える山道(十三越)は、江戸期から大正初期にかけて、多くの旅人が踏みしめたと云う。目的地は遠くお伊勢さんであったり、比較的近場の松尾寺(まつのおさん)だったのでしょう。
インターネットの出現でガイドブックは冬の時代へ
歩き始めた頃は、十三峠までの単純往復でした。やがて「生駒の自然を歩く会(エコー東大阪)」発行の地図を参照し、近鉄大阪線の最寄り駅を起終点にした周回コースを歩くようになったものの、その行動範囲はかなり限定的だったのです。
Ikoma Nature Walkの名称は、このマップからパクリました。
生駒山系の魅力に「ド・嵌り」する
昭和から平成の世になると、インターネットの普及により旅行関連書や、ガイドブック類は販売不振に陥り、新刊書は世に出なくなりました。そんな折に亡父の遺品である地図や書籍に活路を見出すこととなったのです。とりわけ、中庄谷 直(なかしょうや ただし)氏の書籍に触発されて、ハードな縦走ルートやマニアックな古道・旧道に興味を感じるようになったのです。
当時、スマートフォンが急速に普及する中で、GPS(GNSS)機能を使用した「正確な現在地と方位の確認」は、行動範囲の拡大や、バリエーションの変化に大きく寄与。即ち、冒険的な山歩きに挑戦するモチベーションを高めることとなったのです。
iPhone3Gとの出会い
2009年6月に歩いた軌跡ログ(.gpx)をカシミール3Dで表示して見ると、当時主流だったガーミン機器のソレと比較しても遜色ない。
2008年、ソフトバンクが販売権を得て売り出したスマートフォン「iPhone3G」(アップル社)を、満を持して翌2009年に入手しました。近所の家電ショップで実機に触れた瞬間を今も忘れません。持った扇子をバッタと落とし、小膝たたいてにっこり笑い。「これだ!」と心の中で叫びましたね。最初に見た「地図」のアプリはグーグル・マップをベースにしており、やや物足りなさを覚えたけれど、現在地と方位を瞬時に確認できることで、大いに感動し、期待もしたのです。ガーミンなどの高価な専用機器を使わずに、軌跡ログを作成できることも、特筆すべき魅力の一つでした。
しかしながら、世の中の反応は両極端で、一般的には冷ややかだったように思える。iPhone3Gの出現により、スマートフォンの方向性を決める「一打」になったことは否定できないだろう。過去10年間で、その性能は飛躍的に伸びたが、利用シーンはほとんど変わらない。相変わらずグーグル・マップで山歩きはできないが、スマホなしの「山歩き」は遭難への備えが不十分であるとのそしりを免れない時代になっている。
ヤマレコ社長の絶対遭難させないチャンネル @matoyan2024
スギコダチの路でマイナー・ルートにデビューした
iPhone3Gは、当時の携帯電話(=後に「ガラケー」と呼ばれる)に標準搭載だった防水機能に対応しておらず、キャリア(ソフトバンク)から2年縛りで購入していたため、山歩きで十分活用するに至りませんでした。しかし、iPhoneで顧客を奪われて焦るドコモから矢継ぎ早に「クソ端末」と揶揄されるスマホが登場。2011年10月に、Optimus chat L-04C(LGエレクトロニクス)を、2012年8月に、docomo with series P-01D(Panasonic)をヤフオクで落札。前者は「オプ茶」、後者は「ポイド」の愛称(別称、蔑称)で呼ばれており、弄り倒して壊れても惜しくないことから、山歩きで存分に活用できたのである。
イノラムキ古墳・初訪問 2012年12月05日
案内板の誘惑に負けて初訪問したイノラムキ古墳では、落ち葉の降り積もるルートを判読できずに来た道を引き返している。臆病であることは恥ではない。撤退するのも勇気がいる行動なのです。スマホを活用した山歩きの第一歩でもあったが、多少の冒険も「行ける!」と感じた瞬間だろう。まもなく愚行を繰り返すことになるのだが。。。
「スギコダチの路」の痕跡は、2017~18年頃の堰堤工事により、その大部分を消失している。廃道化の理由は、利用者の減少や宗教施設の廃墟化に加えて、堰堤工事を予定していたことが考えられる。山歩きの怖さを感じた日でもあった。
庄兵衛道、庄兵ヱ道、しょんべみちとの出会いから今日
スマホ利用によるチャレンジングなルート選びは、峠越えによる奈良県側への到達という結果に繋がった。八尾市民にとって、「信貴山」は馴染のある場所だが、鳴川・千光寺や櫟原・腰痛地蔵尊など、初めて訪れる場所も多かったのである。当初、下山後の帰り道に不安を感じる程だったが、庄兵ヱ道(=以下、本ルートの名称を「生駒の古道」に基づいて統一する)との出会いまで、そんなに多くの時間を費やすことはなかった。
参考資料
庄兵ヱ道を歩く際に参考とした資料などを下掲しておく。各資料は、当ブログの過去記事にて紹介済みなので、興味のある向きは、そちらを参考にされたい。
- 『古道に残る信仰の道・宝山寺への道』(昭和62年9月1日発行)
- 特選コースガイド「庄兵衛道」(新ハイキング 関西の山、平成8年7月1日発行)
- ふるさと生駒第48号、49号(平成17年、18年)
- 生駒の古道 125頁(平成26年、令和4年)
- 幻の古道-庄兵ヱ道(令和3年)生駒の歴史文化講座
マイマップ
「マイマップ」とは、グーグル・マップを「白地図」に見立てて、ユーザーの収集した情報を追記できるサービスのことを言う。一般公開でシェアすることができる上に、複数人での共同編集作業も可能である。
令和六年・生駒民俗会・第451回例会
今回の例会を通じて、過去10年を振り返ることは、筆者にとってもかなり有意義なことであった。このような機会を得たことを、関係各位に深く感謝する次第です。例会を通じて、新たな発見や「気付き」、再確認できたことをまとめておこう。
- 平成6年亡失を確認した道標の場所
- 鬼取・西畑墓地間の小川に丸太橋
- 千光寺・回峰修行参加者との交流
今木会長より、亡失道標の場所をご教示いただけたのは、今回の例会における最大の成果であると考えます。早速、マイマップを更新しておきました。また、トンビ墓ルートの鬼取側も歩いておく必要があるでしょう。
生駒民俗会の重鎮・渡辺さんから、「今日の話はヨカッタ」とお褒めの言葉を頂戴しました。しかしながら、時間の制約により、省略したエピソード満載。後編にて詳述することといたしましょう。
では、また。